「冒険王ビィト」の作者って、亡くなったの?死亡説はデマなのかな?
このように疑問に思っている方は多いので、本記事では「冒険王ビィト」の作者死亡説について調査結果をまとめます。
「冒険王ビィト」の作者は本当に死んでしまったのか?死亡説はデマなのか?
気になる人は、最後まで本記事を読んでみてください。
「冒険王ビィト」の作品・作者情報
作品名 | 冒険王ビィト |
---|---|
原作・原案など | 三条陸 |
作画 | 稲田浩司 |
連再開時期 | 2002年4月号 |
出版社 | 集英社 |
「冒険王ビィト」は原作・原案が「三条陸」先生、作画が「稲田浩司」先生のタッグ作品。
月刊少年ジャンプ2002年4月号より連載を開始。2006年時点で累計350万部を突破しましたが、その後約10年休載しました。
しかし、2016年から「ジャンプSQ.CROWN」より連載再開。中断されていたエピソードから再開され、ファンは歓喜しました。
ちなみに、「三条陸」先生と「稲田浩司」先生は、「ダイの大冒険」の生みの親でもあります。
そんな名作を生み出し続ける「三条陸」先生と「稲田浩司」先生はどのような人物なのか?個別で解説していきます。
原作「三条陸」プロフィール
名前 | 三条陸(さんじょうりく) |
---|---|
性別 | 男性 |
生年月日 | 1964年10月3日 |
大学 | 明治大学 |
出生地 | 大分県 |
受賞歴 | 不明 |
主な作品 | 『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』 『冒険王ビィト』 『仮面ライダーW』(脚本) 『獣電戦隊キョウリュウジャー』(脚本) |
三条陸(さんじょうりく)先生は、高校時代は映画研究会に、大学時代は漫画研究会に所属していました。
大学卒業後は『ホビージャパン』でキャリアをスタートし、海洋堂のキャストキットや『ウルトラシリーズ』の記事を手がける。
1986年には『装鬼兵MDガイスト』でアニメ脚本家デビューし、翌年には漫画原作者として『スカイボンバー一直線』でデビュー。『月刊OUT』では須田留貧名義で活動し、堀井雄二と親交を深めます。
その後、『週刊少年ジャンプ』関連の仕事を経て、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』の原作者となり、『ダイの大冒険』終了後は再び稲田浩司とのコンビで『冒険王ビィト』の連載を開始しました。
原作「稲田浩司」プロフィール
名前 | 稲田浩司(いなだこうじ) |
---|---|
性別 | 男 |
生年月日 | 1964年3月14日 |
大学 | 不明 |
出生地 | 東京都荒川区日暮里 |
受賞歴 | 不明 |
主な作品 | 『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』 『冒険王ビィト』 |
「稲田浩司」先生は、1985年に「ルージュ・マジック」でデビューし、1987年には「クソッタレだぜェ!!」で『週刊少年ジャンプ』本誌デビュー。
1989年からは「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」を連載し、1996年に終了。その後1998年に「イルカ岩で…」を『赤マルジャンプ』で掲載しました。
2001年には「DRAGON QUEST IV外伝 -地獄の迷宮-」を『月刊少年ジャンプ』に掲載し、2002年からは「冒険王ビィト」を三条陸とのコンビで連載。
稲田先生の体調不良により2006年に休載しましたが、2015年に「冒険王ビィト」の連載再開が告知され、2016年に再開しました。
「冒険王ビィト」の作者が死亡したと言われる3つの理由
結論から言うと、「冒険王ビィト」の作者である「三条陸」さんは現在もご健在です。
ではどうして「冒険王ビィト」の作者死亡説が浮上したかというと、下記のような3つの理由が考えられます。
- 約10年間の休載期間があった
- 作画担当者が変わった
- 掲載雑誌が廃刊になってしまった
以下で詳しい内容を見ていきましょう!
①約10年間の休載期間があった
「冒険王ビィト」は、2006年から約10年間の休載期間がありました。
理由は、作画担当者である「稲田浩司」さんの病気によるもので、同年中に長期休載となる告知があってからずっと音沙汰ない状態が続いていました。
約10年という長い間、連載が止まってしまった訳ですから、作者の死亡説が出てしまっても無理はないと言えるでしょう。
ただ、約10年はかかったものの、「冒険王ビィト」が連載の復活を遂げたのは、ファンにとっては嬉しい限りですね。 今後も、無理のない範囲で連載を続けていただきたいものです。
②作画担当者が変わった
「冒険王ビィト」の作画担当者である「稲田浩司」さんの病は、約10年間もペンを握ることができないほどの大病であったことから、連載復活のタイミングで作画担当者が変わったと言われています。
また、その代筆を担当した方は「稲田浩司」さんの弟だとネット上で騒がれているのです。ただ、この情報に関しては噂による部分が大きく、真相は定かではありません。
事実、この噂らしき情報が出回っていることもあり「作画担当者が変わった=作者が亡くなった」と結びつけてしまっている方も多くいるようです。
なお、作画担当者である「稲田浩司」さんが亡くなった、という情報は確認できないので、現在も「稲田浩司」さんはご健在であると思われます。
③掲載雑誌が廃刊になってしまった
「冒険王ビィト」が連載されていた「月刊少年ジャンプ」は、2007年に廃刊になってしまっています。
「冒険王ビィト」は2006年に休載に入ったので、その翌年に廃刊になっていることが分かります。
これをきっかけに、読者やファンの中で「冒険王ビィト」の連載復活の兆しが薄れてしまい、作者である「三条陸」さんの死亡説が流れてしまったと推測できます。
また、「冒険王ビィト」は、2016年より「ジャンプSQ.CROWN」にて約10年ぶりに連載が復活し、現在は「ジャンプSQ.RISE」で連載中ですよ。
まとめ
本記事では、「冒険王ビィト」の作者死亡説についてまとめました。
以下に死亡したと噂されている理由をまとめます。
- 約10年間の休載期間があった
- 作画担当者が変わった
- 掲載雑誌が廃刊になってしまった